[Others]戦争について考えなきゃいけないこと

技術的な情報を調べる際によく某軍事サイトを利用するときがあります。
航空機やモデルガンなどの「マニア」や自衛隊装備品の開発に直接関わっている「その筋」の人まで集まるところでして、技術的な情報交換を行っています。
ともすれば戦争賛美者の集まりと誤解されかねないサイトではありますが、こと戦争に関してはある意味冷静に論議しているところだと思います。

ここを見ていて「凄い」と思ったのがここ10年の内に太平洋戦争に関する新事実が出てきていて、それまで通説のように語られていた事がひっくり返る可能性が出てきている事。特に陸軍関連が多いです。
「補給を無視した東南アジア戦線」
「過去の戦訓をまったく生かさず、ただ馬鹿正直に一つの戦法にこだわった。」
というのが通説になっていますが、補給に関する計画書や輸送船の出港記録が発見されたり、また陸海軍大本営にて過去の戦いが研究され、マニュアル化されていた事実が次々に出てきています。

もちろん他にもあるかもしれませんが、事実が記述された書物がアメリカ政府に持ち去られてワシントンの資料室に厳重に保管されているものもあり、真実が判るのは当分先*1になりそうなものもあります。

なかなか事実が浮かび上がらないのは一つは今でもご健在である当時の体験者への配慮があるのでは?というのがあります。
当事者としては思い出したくない忌まわしい記憶でしょうし、記憶を手記にしたとしても棚の奥にしまいこむ事が多いようです。
事実、75歳になる私の父は当時長崎の大村航空隊の整備兵をしていたとのことですが、悲惨な部分は一切口にせず「ゼロ戦の部品は他の戦闘機(96式?)から即席で叩いて代用した」とか当時手に入ったお菓子の話ぐらいしか話してくれません。航空隊所属ですから当然飛行場という「軍事基地」に勤務しており、その間何回かアメリカ軍からの攻撃を受けているはずなのですが、自ら話すことはありません。もちろん8月9日の原爆攻撃の時も50km以上離れていた場所とはいえ異常事態であったはずで、当時の混乱ぶりを知っているはずなのですが「慌てて防空壕に飛び込んだ*2」程度しか話してくれません。
久々に話してくれたのがいきなり8月15日の終戦当時の様子で、日本機は全面飛行禁止になったので何もすることがなく他の整備兵と一緒に土管に腰掛けてボーっと空を見ていたといった話です。「戦争が終わった」ということはみんな理解したものの、お互いに「なぁ、無条件降伏って何じゃ?」「さぁ」といった会話を何回か繰り返したとのことです。

よく日本の歴史教科書で「太平洋戦争時の記述があまりにも少ない」といった声がありますが、実は「確定した事実ではないため、うかつに記述できない」のでは?と思うようになりました。未だに封印されている資料や当時の人々の感情的な面を含め、きちんと記述されるようになるのはまだ数十年はかかるのかもしれません。


話は軍事サイトに戻ります。
それとは別にここでよく論議されるのは「どうやったら太平洋戦争を回避できたのか?」*3
簡単に言うと「諸外国との外交能力をつけるには」に終始するのですが、それには4,5年程度では身につかない能力だという事。
「話し合い」で簡単に例えられる内容ではなく、「こちらの申し出を受けてもらう代わりにあちらからの申し出を受ける」「駆け引きには嘘、欺瞞、ハッタリ何でもあり」といったドロドロした駆け引きが繰り返されます。

このような外交が巧みになるためには国家レベルでの経験しかない。それも何百年単位で・・・という論議になっています。
実はこのサイト、その経験を積むために江戸時代の鎖国が邪魔というところまで論議が進んでいます。「3百年以上まともな外交をしてこなかった事が後々に響き、明治時代になってそれを取り戻そうとしたのに無理が出た。」といった感じで。
もちろん鎖国自体も戦国時代で疲弊しきった日本国内の経済状態を回復させるためにそれなりに存在意義がありましたが、これは50年もあれば十分だったはず。その後幕府政治の道具として3百年以上も続いたのが問題になっています。
もちろんその間も安泰というわけでもなく、その時代に起こった東南アジアでのスパイスを巡る紛争や中国の阿片戦争に巻き込まれる可能性もありますが、そういったいざこざを経験して外交能力は高まるのではないかと。

ホント、このサイトの論議を見ていると書店で多数見かける「大逆転!」とか銘打ったif戦記小説が薄っぺらに見えてきます。


さて、今年は終戦から60年という事でさまざまな特別番組がTVで放送されていますが、ちょっと印象に残っているのが広島の原爆攻撃に参加した搭乗員(確か原爆設計に携わった人だったかと)のひとこと
"I'm not aplogize. Because remember Pearl-harbor." (私は謝罪しない。なぜなら真珠湾を忘れていないからだ*4
これには以下の一文で反論したい。
"2,000 soldier and 200,000 civilian, Are you think keep balance?" (二千人余りの軍人と二十万人余りの民間人、これでバランスを取ったつもりか?*5

*1:封印から100年後?という事は解かれるのは2045年以降?

*2:口ぶりから広島の事態は既に知られていたようで「普通じゃないぞ」という意識はあった様子

*3:誰もが「こうしたら勝てた」という考えを持っていないことは興味深いです。

*4:アメリカでは未だに根強い様です。現在でも高校生あたりが口にすることも多いとか。

*5:件のアメリカ人高校生もさすがにこの一言には口をつぐむようです。